多趣味で交友関係の広い人が必ずしもモテて魅力的とは限らない!

同性の友人が多ければ、友人を介して異性を紹介されるような可能性も高くなり、恋のチャンスも増える、という話を前項でお伝えしました。

では、交友関係が広ければモテるか、と言えば、…答えはNO。友人・知人の多さを誇る人が必ずしもモテて、魅力的だとは限りません。

さて、では質問します。友人、と知人、の違いは一体なんでしょうか?

「同じじゃないの?」そう思った方もいるかもしれませんね。

同業者の「知人」は、友人を介して知り合ったばかりであるような人でも、美人だったり、個性的だったり、なにか自分に対しての「美点」を感じると、「親しい友人」として、周囲に紹介するというクセがありました。

今風のコトバで言えば、「盛る」んですね。この人と自分は特別な関係なのだと。

私の親しい「友人」は「知人」のそんなクセに嫌悪感を示していました。深く知りもしない人を友人だと紹介することで、紹介された同士に、齟齬が生じると懸念していたのです。

友情の橋渡しをすることはけっして悪いことではありません。むしろ、歓迎されるべきことです。

「知人」は自分にとって価値があると思う人同士をつなげることで、自分自身にも同等の価値がある、というような錯覚をおこしている、と友人は言いました。

いちばんよくないのは、相手をよく知りもせず、表面だけで判断して、勝手に友だち面して、自分の価値を高めるための道具として利用していることだ、と。

相手のことをよく知っていたら、そんな友人を売る、みたいな卑怯なことは絶対にできないだろうし、交友関係や所属する世界で自分の価値が決まる、みたいなくだらない思い込みも持たずに済むだろう、というのが友人の考えでした。

さらにその「知人」は多趣味でした。いつも流行の少し先にいて、「こんなのが流行るよ」と教えてくれるのです。確かに、「知人」の予言は当たりました。

しばらくすると、メディアでその食べ物、観光スポット、ライフスタイルなどが紹介、さらに拡散されるようになり、そのたび、得意げになる「知人」の顔を何度見たことか。

しかし、「知人」がそれらを「流行」を楽しんでいた様子はまるでありません。ただ周囲に伝え、自分の予言が的中したことに得意がり…。それだけなのです。

熱中し、楽しんでいる人々を見ても冷静で、まして、自分が夢中になることなど、ありません。それらの表面をなぞっているようにしか見えないのです。

そんな交友関係の広い「知人」が果たしてモテたか、と言うと…。まるきり、モテませんでした。

友人を売るような行為を繰り返したせいか、同性からの信用はガタ落ち。興味を抱く異性は必ず、「華やかなイケメン」。見栄え重視の中身無視、だったため、ホストまがいの男にお金をまきあげられていることもしばしばでした。

本人がそれでしあわせなら、いいんです。それでも構わないと思います。しかし、そんな生き方はけっしてオススメできません。

「お金さえあれば好みの男が囲える」と彼女は豪語していたようですが…。お金で買った愛情や、お金を得るために壊してしまった友情のことを考えると、…なんともせつない気分になってしまいます。

「モテ」のために必要なのは、広さや多さではなく、深さなのです。

知ろうとすること、わかり合おうとすること。相手に興味をもつこと。

財産や人脈、肩書き、美貌など、表面的なことではなく、もっと心の琴線に触れるようなこと…。

そうしたことをもっと「深く」知ろうとしたら、知りたいと思ったら、「広さ、多さ」など、とるに足らないことだと気づくでしょう。