「自分に似合うものが分かっている」=センスがいいとは限らない件

「センスのよい人は、流行のものや色を身につけるのではなく、自分に似合っているものが分かっている」などという話を耳にしたことがありませんか。

自分に似合うものが分かっている。そういう人はセンスがいい。果たして本当にそうでしょうか?

この場合、「センスがいいと言われる人」のことを「その通り!センスがいい」とジャッジしているのはいったいどこの誰なのでしょう?そして、そのジャッジした人がホントにセンスがいいかどうかを判断できる人は…?いったい誰?

少し話は変わりますが、「ナンセンス」というコトバが私は好きです。学生時代、「ナンセンス」についての小論文を書いたこともあります。

「センス」というのは感性という意味ですから、「ナンセンス」は感性がない、という意味かといえばそうではありません。「意味がない」「馬鹿げている」といった意味になります。

意地悪なことを言ってしまうと、「ファッションセンスを問うこと」自体、「ナンセンス」だと思うんですよね。

センスの善し悪しなど時代背景でまったく違ってきます。「当時イケてたファッション、今見るとダッサー!」みたいなこと、世の中には掃いて捨てるほどある事例です。

「ダッサー!」だったものが、再び脚光を浴びることもあるし、世代によっても「ダッサー!」の感覚は違ってくる。もっと言えば、「所属する世界によってファッションセンスの基準は異なってくる」のです。

その上でまだ、「センスがいい」「センスが悪い」を問いますか?もうこの話、「ナンセンス」以外のなにものでもないでしょ?と言いたいわけです。

似合う色。パーソナルカラー、というものがあり、訓練を積んだ「診断士」という人がいるようです。

診断士になるためには、勉強が必要です。勉強のためにはお金が、当然必要です。

センスというものがこの世に本当にあるかどうか、私には分からないですけど、お金を積んで勉強した人は「センスを手に入れた」ことになるようです。

お金を払うと懇切丁寧にアドバイスしてくれて、アドバイスしてもらった人は、「おお!これでセンスを手に入れた!似合う色が分かった!」などと喜んで帰っていくわけです。

そこで言う「センス」は、おそらく、その閉じられた「世界」の中でよいとされる価値基準です。お金を払って訓練を積んだ診断士さんたちの共通認識の中にお金を払って、その世界の仲間に入れてもらった、ということに過ぎないと私は考えます。

「似合う」とはどういうことでしょう?年齢的にちょっとどうか、と思うものでも、愛する人、信頼する人が好ましいと思うなら、もしかしたら、それこそがあなたに「似合う」ということなのではないでしょうか。

華奢な女の子のメンズライクなファッション、男らしく逞しい人の女装、老婦人の着る乙女チックなドレス…。一般的に奇異でちぐはぐに見えてしまいかねないファッションが、あるシーン、ある特定の人が着ることで一時爆発的に流行するといった事例も数多くあります。

そういうものを「キワモノ」だと嘲笑することや、「キワモノ」だと思っていたのに、周囲がそのファッションを真似しだし、つい自分も乗っかってしまうことも、…実はセンスだと私は思うわけです。

センスは誰の心の中にでもあるもの、似合っているな、あれ好きだな、そう思うことこそがセンス。誰かに言われて、「そうだそうだ!」と鵜呑みにする「センス」はちょっと違う…。

大切なのは、「自分の価値判断を信じること」。これが分かれば、あなたはまたひとつ、「モテ」に近づいたことになります。