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「嘘をつかないこと」と「洗いざらいぶちまけること」の歴然たる違い

「交際相手にウソはつきたくない」と、過去の異性との関係を洗いざらい話し、結果、ドン引きされフラれた女性がいます。

彼女からすれば、「言われたまま、ウソをつかず、正直に答えたのに、なぜ?」と問い詰めたいところでしょう。(実際問い詰めたかもしれませんが)

「正直者は馬鹿を見る」といった、単純な話ではありません。ウソはつかないにこしたことはない。ウソというのは、結果的に自分を追い詰めてしまうようなところがあるからです。

ひとつついてしまったウソのために、ウソを重ねて行かなければならなかった、そんな話はよく聞きますよね?

プロの詐欺師ほど、ウソは重ねることは少ない、と言います。ウソは大事なところで、ひとつかふたつ。あとは本当のことを伝える。真実という鎧で固めらえたウソは滅多なことではバレない、と。ま、ウソかホントか分からないような話ではありますが…。

こんなエピソードがあります。

「コーヒーは好きですか?」と聞かれた男性と女性がいます。男性も女性も「コーヒーは好きだ」と言いました。実際に出てきたコーヒーは、ものすごく苦い。イメージしていたコーヒーと違うわけです。

男性は「うげえ、苦い」と思いつつ我慢して飲み干し、「おいしかった。ごちそうさま」と答えます。「コーヒー好き」を言ったからには、「コーヒー好き」を演じたわけで、相手からも、「おお。この人はホントにコーヒー好きなんだな」と思ってもらえるに違いありません。

女性は「マズい!無理!」と言って口をつけただけで残しました。「コーヒーお好きでしたよね?違ったんですか?」と相手から責められても、「このコーヒーは苦くて嫌い」と言ってしまえる…、というようなお話。

この男性は自分の感情に対しては「ウソ」を言ったわけです。最初に宣言した「コーヒー好き」というコトバを虚偽にしないために。

女性は自分の感情には素直でした。正直だったわけですが、しかし、相手には、「コーヒー好きっていったくせに、実はウソだったんだな」と思われてしまったのです。

正直であること、相手から正直だと思われること、実はまったく別物だったりするわけですね。

この例を当てはめてみて、前述の、交際相手から問われるままに、過去の性体験をあらいざらい暴露してしまった挙げ句、振られてしまったという女性はどうでしょう?彼女はどうすべきだったと思いますか。

「過去の男性関係を聞いてビビって去って行くような男、こっちから願い下げよ!」なんて啖呵を切るのもカッコイイかもしれません。

「そこはほれ、可愛い女を演じてさ。三人って言っとけばまず、間違いないよ」なんてアドバイスもあるかもしれません。

この三人という数字は、実は結婚前の異性交遊としていちばん多い数字だと言われていますが、「そんなことあるかい!」というツッコミも多々あるようです。

一人だったら、「経験不足」と思われがちだが、五人というと遊び人と思われそう、その間を取った絶妙な数字です。覚えておいて損はないかもしれませんが、おおかたは虚偽と推測されます。

さて、モテる人なら、どのように答えるか?

はぐらかす、隠す、というのが一番よいそうですね。これなら、ウソをついているわけではありませんから。

知りたいと思ったら、教えてくれるまで離さない!帰さない!なんて胸キュン展開が期待できそうですし、「また今度ね」と次につなげることや、「○○を買ってくれたら…」なんて交換条件を提案することもできそうです。

「そんなベタな!」なんて言ってる人。では、何が正解か考えてみましょう。自分なりの答えを導きだすこと、それこそが「モテ」への一歩ですよ!

異性受け狙う?それとも同性の好感度アップ?その答えでモテに差が!

「男性に媚びてばかり」の女性は間違いなく同性から敬遠される傾向にあります。

男性なら、女たらしの同性に対し「自信があるんだな、羨ましい」と憧れの対象となることも少なくないのですが、「男とみればしなだれかかる」女性に憧れる女性は、まず皆無なのです。

「男性の嫉妬は、女性の嫉妬より醜い」なんて話もよく耳にしますが、ここで言う嫉妬は、ほとんどが男社会の中に限定されたもの。

「ライバルの出世」や、「上司からの寵愛」といった、尊敬する男性や、自分の評価を左右する権力者絡みのもの。そこに女性は不在です。

一人の女性をめぐって二人の男が殴り合い!なんて、悲劇のヒロインに浸れる絶好のシュチュエーションは、現実にはきわめて稀。

身を引いたふりをして諦めきれずストーカー、人を雇って相手の男を懲らしめるなど、陰湿な話は耳にしますが…。これではヒロイン気取りどころか、本当の「悲劇」です!

「女性にモテる男性」はほぼ例外なく、男性からも好かれます。女性にモテることで、同性からの尊敬を集めるわけです。

同性に好かれる男性は、異性からも好かれる、と置き換えてもよいでしょう。

では、女性の場合は?同性から好かれる女性は、男性からの好感度も高いのでしょうか。

答えは「イエス」。異性からも、同性からも好かれる女性は多いのです。女性からは好かれるけれど、男性には不人気、という女性は実は少数派。

男性にむやみやたらと媚びる女性について、「モテない」を自認する女性は「いやらしい」と悪印象を抱きがち。美人でもないくせに男性にチヤホヤされて、と。

では、媚びを売る女性に鼻の下を伸ばすような男性に対してはどのような印象を持ちますか?

男性の本能だから仕方ない。ああやって女性から甘えられれば男の人はけっして悪い気がしないのだ、と思いますか?

仮にこの人を守りたい、自分だけのものにしたい、と思っても、誰にでも甘えた態度を取る女性とは真剣なおつきあいは難しいと考えるに違いありません。

後先考えず鼻を伸ばすような男性ももちろんいるでしょうけれど、女性を真剣に愛すことのできる男性、責任感のつよい男性はその場の空気を読み、適切な判断を下せるのではないでしょうか。

甘えかかる女性に対して、「この人は寂しいのだな」とか、「冷たく拒絶して恥をかかさないように」ということも男性側の配慮としてあるような気がします。

結婚に発展するオフィスラブの場合、こっそり、周囲に気づかれないよう、秘密の愛を育くんでいるケースが多いようです。

女性側からの人目を憚らない堂々アタックが功を奏した話はあまりきかれません。秘密に育くまれた愛が真剣交際であることが多いのとは逆に…。

同性から好かれる、というのは他者に対する配慮、気遣いができるということです。

異性に免疫のない女性がセクハラまがいの発言を受けていたらフォローに回るとか、宴席でひとり寂しそうな様子の人がいたらさりげなく話しかけるとか…。

あからさまなセックスアピールより、同性へのそうした振る舞いの方が異性からもはるかに好ましいはずですよ。

そうした行動、言動を黙って見ている、信頼に足る魅力的な人物は、男性、女性に限らず必ず存在します。

華やかにスポットライトがあたっているところばかりで、恋の花が咲くわけではありません。真剣交際ほど、秘密に育まれていることが多いように。

モテたいなら。まずは、同性に好かれることです。秘密の恋を後押し、応援してくれ、あらたな出会いをセッティングしてくれる素敵な同性の友人を、たくさん持つことが必ず「モテ」に繋がりますよ!

「ボリュームゾーン」で戦いつづけ、負け越すことの不毛さを知ろう!

今回お伝えしようと思ってるのは、前項の「本当に欲しいものはなにか」と似たような話なのですが、あなたの理想の恋人はどんな人でしょうか。

「高望みはよくない」という話が聞かれます。「分不相応な相手を求めるからいつまでも結婚できない」というような…。

結婚したくないわけではない。結婚願望はものすごくあるのだけど、提示する条件が高すぎて、相手にしてくれる人がいない。

アイドルや二次元(アニメやマンガのキャラクタ−)に入れ込みすぎて、現実の女性が無理、というオタク男性の話や、同じような女性の話も聞きます。

一般的には、そのような「マニアック」な人に対し、「もっと現実を見よう!」というアドバイスが頻繁になされるわけですが…。

ボリュームゾーンというコトバをご存じですか。「世間の大体のところ」というような意味合いと思っていてください。

女性だったら、飛び抜けて美人なわけでも、スタイルがいいわけでもない。世間的によくいるタイプ、今風のファッションをしていて、大多数の人が「好ましい」「まあまあかわいいんじゃない」「いい子じゃない」などと評価するタイプの女性たちです。

大きな括りで言えば、そういうことになります。「ひとりひとり」を個として見ることなく、「世間の目」でくくれば、そういうことになります。

マニアックな好み、嗜好を持つオタクと呼ばれる人たちや、結婚相手や交際相手に高望みをしすぎる傾向のある人に、周囲の「世間」としてくくられた人たちは、この「ボリュームゾーン」なら、いいじゃないか、とアドバイスしているわけです。

周囲からもおそらく「イイネ!」と言ってもらえるし、とにかく「ボリュームゾーン」だけに、人数も大勢いるのだから可能性も高いよ、と言っているわけです。

果たして、本当にそうだと思いますか?

男性のボリュームゾーン、女性のボリュームゾーン、それこそ多くの人間が存在します。その中で、さらに好条件の相手は?と男性も女性も血眼になっている、これがボリュームゾーンの実態です。

ボリュームゾーンということを取っ払い、ひとりひとりにグッとがぶりよって見てみます。さまざまな個性があることがわかります。

「あなたは世間並みですよ。世間標準の中にちゃんと入っていますよ。安心してください」と言われるから、ボリュームゾーンのフリをしてみているだけなのです。

実際には、「高望み」とされているような人や、「アイドル」と呼ばれる人にだって欠点はあるわけですし、実際付き合ってみたら、ただ憧れていたときに思いもよらない欠点が見つかることだって容易に想像できます。

ボリュームゾーン、あるいはボリュームゾーンの中にすら含まれない、ボリュームゾーン以下だ、などと世間からレッテルを貼られているような人が、(自分にとっての)たくさんの美点を持っていることだって絶対にある!…そう、とにかく、目に見えている表面だけでは何も分からないわけです。

高望みと呼ばれることも、やめなくていいと思います。アイドル好きも、二次元好きも、そのままでいいと思います。「世間」に言われるがまま、「こんなもんか…」と思ってつきあえば、相手からは「こんなもんか」という態度しかきっとかえってこない。

「こんなもんか」と世間並みという目でしか見ないボリュームゾーンで戦いつづけ、さらに負け越す(つまらない思いしかしない)ことはまったくもって不毛です。

自分の道を突き進むこと、それこそが「モテ」に繋がります。ボリュームゾーンという概念を一度外して周囲を見てみましょう。スペシャルな人材がその中に犇めいていることが分かりますよ!

「あなたは誰からモテたいのか?」この問いに即答できる人こそが勝者

「モテない」を自認する人にとっては、「モテてモテて困っちゃう〜」なんて女性や、「女難に遭いがち」な男性について、「羨ましさ」を通り越して、「本当にそんなモテているのか?」と疑惑のまなざしを向けてしまうこともあるかもしれません。

しかし、実際のところ、周囲からどんなにモテモテだったとしても、全然意中出ない人ばかりからの思いで、自身が恋い焦がれている思い人はまったく自分に感心がない…。

そんな状況だったとしたら、「自身のモテ」など、なんの価値もないかもしれません。

「そうだ!どうせ自分はモテるんだから、この大勢の中から、いちばんマシと思える人とつきあえばいいじゃないか!」

まあこんなふうに多くの選択肢を持ち得るようなモテモテさんに「あやかりたい」と憧れる人も少なくないかもしれませんが、本気で好きな人がいた場合、たとえ選択肢が多かったにせよ、思い人を吹っ切ることはそう簡単ではない、と私は考えます。

例として挙げたいのは、自分の性指向が「ストレート」すなわち、異性に向けられるのではなく、同性にしか感心・興味がないというような場合です。

そして、同性にしか性的感心を持ち得ないちうことを打ち明けられる友人や家族に恵まれず、ひとりでその思いを抱え込んでいたとしたら…。

その人が数多くの異性から求愛されたとしても、恋愛対象として見ることはできないでしょうし、その理由を伝えることもできないとしたら…。

周囲からは「選り好みしてばかりいる」「お高くとまって」などと勝手な思い込みで悪い印象を抱かれ、理由も告げられず悲しい思いをするかもしれません。

反対もあるんですよ。「オレ、女性にはからきしモテないんだけど、男性からはすごくモテるんだよね…」というような。これは、女性の場合でももちろんあり得ます。

その人が異性・同性問わず、「自分にとって魅力的か否か」で相手を選ぶ両性愛的指向をもともと持っているか、なにかのきっかけで持ち得ることができたとしたら、幸せなカップルが生まれる可能性もありますよね。

しかし、「同性」「異性」どちらかにしか、性的関心・興味が向かない場合、自分が恋愛感情を持ち得ない「性」を持つ相手からの求愛は受け入れられない、迷惑と感じてしまうようなケースもあるかもしれません。

しかし、それは「思いを向けた人」「思いを返せなかった人」どちらの罪でも、罰でもない。ただ、巡り合わせがなかった、というだけのことです。

巡り合わせがなかった、というのは、異性・同性という性指向の違いだけに限りません。「その人とは巡り合わせがなかった」というだけで、即「私、モテない。ガッカリ」というわけではないんですよ。

異性、同性とも、世間にはたくさんの人がいます。自分がいったい、どんな人からモテたいか、どんなつきあい方が理想か?そんなことを考えてみたこと、ありますか?

「理想が高すぎて相手が見つからない」という話もよく聞きます。「高望みしたり、妄想したりするとますますモテから遠ざかるのでは…」と懸念を抱く人もいそうですが、私はあえて、しっかり「モテたとき」のイメージを持つことが大事、と伝えたいです。

そして、妄想する際、必ず付け加えて欲しい項目があります。「自分が相手にしてあげたいことは何か。それをしてあげることによって、相手はどのような印象をあなたに持つか」

「モテない」あなた。ただ漠然と「モテない」ことを嘆くのではなく、ぜひ、このイメージトレーニングをしてみてください。

自問自答して自身の持つイメージを答えられれば、あなたは非モテ界における勝者!「モテ」に一歩、必ず近づいているはず!

「自分に自信のある人はそうでない他人を傷つけがち」という思い込み

「いじめっこはつよい、いじめられっこはよわい」。あなたの中に、そんな思い込みはありませんか。

「いじめっこは弱いから徒党を組んで、ひとりをターゲットにいじめるんでしょ」そのように答える方でも、「自分に自信のある人ほど、他者を傷つけがち」というコトバには、「その通り」と答えがちなのです。

これ、「つよい人ほど、よわい人をいじめる」という最初に挙げた「いじめ」の図式と同じじゃありませんか?

いじめっこは実際には「弱い心の持ち主」なのだとしたら、「強い心の持ち主」つまり、自分に自信のある人は、他者を傷つけたりはしない、そんなふうに考えられるのではないでしょうか。

私の身近に自称「自己評価が低い」人が多数います。「モテたい」と切望して今、このブログを読んでいるほとんどの人は、おそらく、「自己評価が低い」方々ではないでしょうか。

自己評価が低い人たちは、いつも自身満々に振るまい、輝いているような人をみて、「いいなあ、自分もあんなふうに振る舞ってみたい」と思うかもしれません。

あるいは、「どうして、あなたはこんな簡単なこともできないの?こんなこと、私だったらすぐにやってしまえるのに」と自信満々の人から貶められた、傷つけられた、と感じたことが少なからずあったに違いありません。

自分に自信のない方にお伝えしたいことがあります。それは、あなたの見ている世界は、本当の世界ではないかもしれないよ、ということ。目に見えていることだけで判断してはいけない、ということです。

あなたから見て、いつも自信満々な人。自信満々でついつい自信のない、オドオドといつも臆しがちなあなたに対し、キツいコトバを浴びせたり、不当な振る舞いで傷つけがちな人。

その人は、あなたには自信満々に映るかもしれないけど、本当は「自信のない」人です。

自己評価が低いことを周囲に曝け出せる素直なあなたとは違い。弱みを見せないよう、強気で振る舞っているのです。

あなたを傷つけるのは、自分がけっして見せない弱みを見せているあなたが許せないから、あなたを見ていると自分の弱さを見つけられているようでたまらないから…。

そんなふうに考えてみてください。だいぶ、見え方が変わって来たでしょう?
そうした人に対し、卑屈に謝ることなんてないのです。できないものはできない。そう開き直ってしまっていいんです。不当だと感じているなら。

人間が決める、人間の出来、不出来なんて実はそうたいした差ではないんですよ!作業効率のいい人というのは確かにいますが、もし、1日のタイムスケジュールを詳細に書いてもらったら、作業効率が悪い人と比べ大差ない生活をしていることがきっと明らかになるに違いありません。

その小さな差をあげつらって、「自分はスゴイ、オマエはダメだ」なんてレッテルを貼ってくる人、実にちっぽけな人間だと思いませんか?

そう、人を傷つける人って、大抵は「自分に自信のない人」なんです。自己評価の低い人は、自分の都合で物事を決めがちだったり、時間にルーズだったりすることが多いのです。なぜか?

ズバリ、お答えしましょう。グジグジ悩んでる時間が多いのです。自分はダメだ、あの人はきっとこんな自分を嫌いだ、みんなが私を悪く言ってる、ああ〜…。とささいなことに捕らわれ、次の行動に軸足を移せず、結果他人を振り回しがちなんです。

他人はあなたのことをそれほど気にとめません。自信満々に振る舞うことはありませんが、必要以上に自分を貶めないことです。

それだけで、ずいぶん世の中の景色は変わってくる。あなたの存在が輝きだし、モテへの道も拓けてくるはずです。

必要なもの、欲しいものが明確に分かっている人の吸引力は無限大!

一生一度くらいでいいから「人気もの」になってみたい。多くの人がひそかに心に抱いていることではないでしょうか。

人から嫌われたくないし、それ以上に存在を忘れられがちで、パーティやイベントなどに呼ばれることが少ない、なんて残念すぎる!

できるなら、輝いていたいし、注目を浴びたい!人から好かれたい!モテたい!

それが、あなたの希望だとして、では、自分が誰よりもイケてて、モテているところを実際にイメージトレーニングしてみましょう。

そのときのあなたは、どんな表情をしていますか。

どんな服を着ているでしょう?髪型は?女性だとしたらメイクはどんな感じ?

周囲には誰がいますか?その人はどのような表情であなたを見ていますか?

できるだけ詳細に、具体的に、イメージを結んでいってみてくださいね。

考えていくと、漠然としていたり、あるいは心に描いたそのイメージ映像は、いつかどこかで見た(テレビ?映画?実際身近にあった現実のシーン?)もののパクリ、焼き直しだったことに気づいて愕然としたり、苦笑いするかもしれません。

それでも、ぜんぜん構わないのです。寄せ集めでも、無理くりでも、とにかく詳細かつ具体的にイメージすることが大事です。

イメージトレーニングは誰に迷惑かけるでもなし、罪もない。「モテたい」「人気者になりたい」という方には、ぜひ積極的にやっていただきたいものです。

ひとつ、お伝えしたい案外大切なことは、「人は自分がホントに欲しいものをよく分かっていない」ということなんです。

少し、「モテたい」から外れて考えてみましょう。

今、いちばん欲しいものはなんですか?したいこと、行きたい場所でもかまいません。パッと心に思い浮かんだもの、なんでもよいんですよ。

ただの遊びです。希望商品を差し上げることもないし、ましてや金額が高いものの方が上、なんて競争でもなんでもありません。年齢や、地位にふさわしいそれなりの答えを用意しなくちゃ、と焦る必要もありません。

尿意をもよしていたら、「トイレにいきたい」かもしれませんし、お腹がすいてたら「ラーメン食べたい」、仕事が立て込んでいて疲れてたら、「ぐっすり眠りたい」「家に帰りたい」…そんな答えかも知れないのです。

しかし、大多数の人にとって、こんなお遊びのような質問でも、「間違いなく正解を答えなければ」「大多数の人にとって納得いく答えを…」とか、「ウケを狙うのが正解だろうか…」と、世間からの目、見え方を気にしてしまい、自分のストレートな欲求が伝えられません。

もっと言えば、自分の本心すら分からない。

オタクやコレクター、マニアなどと呼ばれる人は、一般的に価値がないと思われるようなものなどに興味を持ち、一般では考えられないような高値で取引したりします。

こういったものが世間体を気にせず、自身の欲求に忠実であるということなのか?と言えば、実際にはそうではありません。

それらの人々は共通する趣味の人と集って、その中であらたな「世間」を構築してしまう傾向がみられます。あらたにつくられた「小さな世間の目」を気にして、また、本心が見えなくなっていってしまう…、そんなこともあり得るのです。

世間の目を気にせず、欲しいもの、したいこと、をとことんつきつめて考えてみる。気の合う仲間の視線すら気にせずに…。

本当に欲しいものが分かれば、今何をすべきかおのずと分かってくるはず。それによって身についた個性は紛うことなくホンモノ。より多くの人を惹きつけるかけがえない財産となるでしょう。

「忙しい」というコトバを他人に投げつけたとき、魅力は3割失われる

やたらと忙しがり、多忙さをアピールする人がいます。ヒマであることは、まるで罪悪であるかのように。

あなたはどう思われますか?いつもスケジュール帳がびっしり埋まっている、分刻みで動いている…、そのような人を見て、この人、輝いていてとっても素敵!などと思えるでしょうか?

ブラック企業に勤め、本当に日々忙しく、眠るヒマもないという人もいるでしょう…。

そうした人には、少し立ち止まって考えてみて欲しい。「会社のために身を粉にして働く」という凝り固まった価値観にガッチリ囚われてしまっていないか?

生きることより大切なことなど、世の中にはないのだ、と伝えてあげたいのだけれど、会社のために尽くすことが善、という考えを変えることは何故かとても難しいのです…。

ひととき考える余裕、思考を巡らす時間さえあれば…。凝り固まったアタマをほぐし、ほんのわずかでも気持ちがラクになれるような気がするのに…。

ですから、ただただ忙しがっている人、忙しさを誇るような人、それを「良し」とするような世間的価値観には、アタマを捻らざるを得ません。

困窮家庭の生活を見守ったり、カラダが思うように動かなくなってしまったお年寄りのサポートをしているような良心的なボランティア団体は、国内にたくさん存在しています。

地域が抱える問題を解決し、多くの方々が地域イベントなどに積極的に関わることができる、暮らしやすい街づくりに成功したボランティア団体の代表さんのコトバはとても印象的でした。

「どんなに忙しくてもヒマそうに見せるように努力しています。心配事のある人というのはヒマそうにしていないと相談を躊躇してしまいます」

そうなのです。忙しさに紛れていると、大切なものを見損ねてしまう、聞き逃してしまうのです。

恋人たちの別離の理由で、多いのが「すれ違い」。

けっして相手がイヤになったわけではなく、話し合ったり、触れあったりする時間や機会がなくなってしまった結果、気持ちがすれ違って、別れてしまう。

すれ違いの要因は、おもに相手の忙しさ、お互いの忙しさにあります。

「忙しい」をなにか面倒事を断るときの便利な言い訳にしたり、自分はスケジュールの詰まった有能な人間なのだといわんばかりに忙しさを誇るような人間は、その魅力を3割方、あるいはそれ以上、失ってしまうといっても過言ではありません。

たしかに「忙しい」ときはあるでしょう、おそらく誰にでも。しかし、それは決して周囲に自慢すべきことではありません。

本当に忙しい人ほど、なんとか生産効率性をあげて余暇を捻出し、自分の時間を確保する傾向にあると言われています。

実際、そのようにある程度、自分のためのリフレッシュ時間を確保できなければ、手際よく仕事をこなすことなどできません。

仕事を抱えすぎた状態では、思考もまともに働かないし、いっぱいいっぱいになって、さらなる多忙と非生産を引き起こすだけに違いありません。

それでもまだ、「忙しい」ことをアピールしつづけますか。

たとえ、仕事に忙殺されていても、他人からの相談事にはちゃんと耳を傾けるような人は、男女の別なく間違いなく慕われます。ですから、モテたかったら。まずは、「忙しい」というコトバを封印してみましょう!

たとえ忙しくても、眉根を寄せて難しい顔をしているより、笑顔を絶やさぬ方が、仕事の効率性は確実にアップします。笑顔でいれば周囲も話しかけやすいですから、相談もしやすく、仕事の一部を気持ちよく肩代わりしてもらうことも可能かも知れません。

「忙しさ」をアピールすることで、なんのメリットも得られません。ただ自己満足の中に溺れているだけで、モテからはますます遠のいていくことでしょう。

いつも輝いていて魅力的な“あの人”とそうでない人との一番の違い

いくつになっても若々しい、美貌が衰えない、体型が崩れない、そうした要素は「モテる」ために必要不可欠であるように思う方も多いことでしょう。

そうした要因も、たしかに「モテる」要素であることも否めません。しかし、あくまで、「若々しさ」「美貌」「スタイル」をパートナー選びの重大要項にしている人からの「モテ要素」にしか過ぎません。

しかも、その程度によって「モテ度」も微妙に変化します。たとえば、「若見えしすぎてアタマが悪くみえる」「美人だけど、冷たそう」「細いのが好きだけど痩せすぎはダメ」…というように。

一言、確かに言えることは、「モテる」ために必要な条件は「モテたい」という思いの強さ、それに尽きると思うのです。

そのコトバを見て、「自分、モテたい気持ちは人一倍強いのに、まったくモテませんが!?」と心で叫んだ人も大勢いると推測されます。

そして、そのような人たちに共通するのは、「人一倍つよいのはモテたい気持ちでなく、プライド」だということなのです。

「プライド?プライドって自信のことでしょ?自信なんか全然ありませんよ!だってモテないんだもん。モテモテの人は、自信たっぷり、鼻高々、プライドだって相当高いに違いないけど、モテない我々がもってるのは所詮ちっぽけなプライドに過ぎませんよ!」

そんなふうに逆ギレしたい気持ちかもしれませね。しかし、そう、そこでいう、その「ちっぽけなプライド」こそ、あなたの「モテ道」を阻む最大の敵なのです。

厄介なプライドについての話はまた、別項でじっくりお話ししたいと思います。
ここではまず、「モテ」のためのシンプルな鉄則をお伝えしたいと思います。

「モテない」を自覚するあなたは、自分の価値判断的にイケメンや、美人だと思う人がモテていたら、「仕方ない、あのひとは自分にない美しさを持っているのだから…」とおそらく負け犬のごとく尻尾を巻いて降参してしまうに違いありません。

しかし、自身の「美貌基準」に満たない人が周囲から「モテモテ」だったりしたら、どこか納得できない、気分の悪い思いをしたりしませんか。

「不美人(ブサメン)なのにモテる」と周囲からやっかまれる人というのは少なくありません。

女性だったら、同性から「男性に媚びを売っている」とか、「誰にでも身を任す」というような悪印象を抱かれがちです。男性の場合なら、「女性に金を貢いでいる。バラまいている」「いいように使われているだけ」等々…。

そして、両性ともに共通するのが「あんなのはモテてるうちに入らない」。

では、実際あなたが、それをやってみたら、同じようにモテるのでしょうか?
それで、モテたのなら、しめたもの!今日から楽しい「モテモテ」人生が始まるではありませんか。

「そんなみっともないことはしたくない!」ですか?それなら、仕方ないですけれど…。

おそらく彼ら、彼女らと同じことをしたとしても、彼ら、彼女らのようには「モテない」んです。「モテる」理由というのは、もっと別のところにあるからなのです。

ちっぽけなプライドに振り回され、「あんなモテ方は違う。あんなモテ方認めない」…。だとしたら、あなたの「モテたい気持ち」は人一倍つよいわけではないのです。まず、「モテ」に基準をもうけているわけですから。

モテたい気持ちがもっとつよかったら…。本気でモテたいと思ったら。まず、他人に難癖つけてる場合でないことはわかりますよね?

再度、声を大にして言いましょう。「モテる」ために必要な条件は「モテたい」という思いの強さだけ。

輝いて魅力的な人とそうでない人との違いは、「モテたいか、それほどでもないか」。ただそれだけなんですよ。

多趣味で交友関係の広い人が必ずしもモテて魅力的とは限らない!

同性の友人が多ければ、友人を介して異性を紹介されるような可能性も高くなり、恋のチャンスも増える、という話を前項でお伝えしました。

では、交友関係が広ければモテるか、と言えば、…答えはNO。友人・知人の多さを誇る人が必ずしもモテて、魅力的だとは限りません。

さて、では質問します。友人、と知人、の違いは一体なんでしょうか?

「同じじゃないの?」そう思った方もいるかもしれませんね。

同業者の「知人」は、友人を介して知り合ったばかりであるような人でも、美人だったり、個性的だったり、なにか自分に対しての「美点」を感じると、「親しい友人」として、周囲に紹介するというクセがありました。

今風のコトバで言えば、「盛る」んですね。この人と自分は特別な関係なのだと。

私の親しい「友人」は「知人」のそんなクセに嫌悪感を示していました。深く知りもしない人を友人だと紹介することで、紹介された同士に、齟齬が生じると懸念していたのです。

友情の橋渡しをすることはけっして悪いことではありません。むしろ、歓迎されるべきことです。

「知人」は自分にとって価値があると思う人同士をつなげることで、自分自身にも同等の価値がある、というような錯覚をおこしている、と友人は言いました。

いちばんよくないのは、相手をよく知りもせず、表面だけで判断して、勝手に友だち面して、自分の価値を高めるための道具として利用していることだ、と。

相手のことをよく知っていたら、そんな友人を売る、みたいな卑怯なことは絶対にできないだろうし、交友関係や所属する世界で自分の価値が決まる、みたいなくだらない思い込みも持たずに済むだろう、というのが友人の考えでした。

さらにその「知人」は多趣味でした。いつも流行の少し先にいて、「こんなのが流行るよ」と教えてくれるのです。確かに、「知人」の予言は当たりました。

しばらくすると、メディアでその食べ物、観光スポット、ライフスタイルなどが紹介、さらに拡散されるようになり、そのたび、得意げになる「知人」の顔を何度見たことか。

しかし、「知人」がそれらを「流行」を楽しんでいた様子はまるでありません。ただ周囲に伝え、自分の予言が的中したことに得意がり…。それだけなのです。

熱中し、楽しんでいる人々を見ても冷静で、まして、自分が夢中になることなど、ありません。それらの表面をなぞっているようにしか見えないのです。

そんな交友関係の広い「知人」が果たしてモテたか、と言うと…。まるきり、モテませんでした。

友人を売るような行為を繰り返したせいか、同性からの信用はガタ落ち。興味を抱く異性は必ず、「華やかなイケメン」。見栄え重視の中身無視、だったため、ホストまがいの男にお金をまきあげられていることもしばしばでした。

本人がそれでしあわせなら、いいんです。それでも構わないと思います。しかし、そんな生き方はけっしてオススメできません。

「お金さえあれば好みの男が囲える」と彼女は豪語していたようですが…。お金で買った愛情や、お金を得るために壊してしまった友情のことを考えると、…なんともせつない気分になってしまいます。

「モテ」のために必要なのは、広さや多さではなく、深さなのです。

知ろうとすること、わかり合おうとすること。相手に興味をもつこと。

財産や人脈、肩書き、美貌など、表面的なことではなく、もっと心の琴線に触れるようなこと…。

そうしたことをもっと「深く」知ろうとしたら、知りたいと思ったら、「広さ、多さ」など、とるに足らないことだと気づくでしょう。

「自分に似合うものが分かっている」=センスがいいとは限らない件

「センスのよい人は、流行のものや色を身につけるのではなく、自分に似合っているものが分かっている」などという話を耳にしたことがありませんか。

自分に似合うものが分かっている。そういう人はセンスがいい。果たして本当にそうでしょうか?

この場合、「センスがいいと言われる人」のことを「その通り!センスがいい」とジャッジしているのはいったいどこの誰なのでしょう?そして、そのジャッジした人がホントにセンスがいいかどうかを判断できる人は…?いったい誰?

少し話は変わりますが、「ナンセンス」というコトバが私は好きです。学生時代、「ナンセンス」についての小論文を書いたこともあります。

「センス」というのは感性という意味ですから、「ナンセンス」は感性がない、という意味かといえばそうではありません。「意味がない」「馬鹿げている」といった意味になります。

意地悪なことを言ってしまうと、「ファッションセンスを問うこと」自体、「ナンセンス」だと思うんですよね。

センスの善し悪しなど時代背景でまったく違ってきます。「当時イケてたファッション、今見るとダッサー!」みたいなこと、世の中には掃いて捨てるほどある事例です。

「ダッサー!」だったものが、再び脚光を浴びることもあるし、世代によっても「ダッサー!」の感覚は違ってくる。もっと言えば、「所属する世界によってファッションセンスの基準は異なってくる」のです。

その上でまだ、「センスがいい」「センスが悪い」を問いますか?もうこの話、「ナンセンス」以外のなにものでもないでしょ?と言いたいわけです。

似合う色。パーソナルカラー、というものがあり、訓練を積んだ「診断士」という人がいるようです。

診断士になるためには、勉強が必要です。勉強のためにはお金が、当然必要です。

センスというものがこの世に本当にあるかどうか、私には分からないですけど、お金を積んで勉強した人は「センスを手に入れた」ことになるようです。

お金を払うと懇切丁寧にアドバイスしてくれて、アドバイスしてもらった人は、「おお!これでセンスを手に入れた!似合う色が分かった!」などと喜んで帰っていくわけです。

そこで言う「センス」は、おそらく、その閉じられた「世界」の中でよいとされる価値基準です。お金を払って訓練を積んだ診断士さんたちの共通認識の中にお金を払って、その世界の仲間に入れてもらった、ということに過ぎないと私は考えます。

「似合う」とはどういうことでしょう?年齢的にちょっとどうか、と思うものでも、愛する人、信頼する人が好ましいと思うなら、もしかしたら、それこそがあなたに「似合う」ということなのではないでしょうか。

華奢な女の子のメンズライクなファッション、男らしく逞しい人の女装、老婦人の着る乙女チックなドレス…。一般的に奇異でちぐはぐに見えてしまいかねないファッションが、あるシーン、ある特定の人が着ることで一時爆発的に流行するといった事例も数多くあります。

そういうものを「キワモノ」だと嘲笑することや、「キワモノ」だと思っていたのに、周囲がそのファッションを真似しだし、つい自分も乗っかってしまうことも、…実はセンスだと私は思うわけです。

センスは誰の心の中にでもあるもの、似合っているな、あれ好きだな、そう思うことこそがセンス。誰かに言われて、「そうだそうだ!」と鵜呑みにする「センス」はちょっと違う…。

大切なのは、「自分の価値判断を信じること」。これが分かれば、あなたはまたひとつ、「モテ」に近づいたことになります。